1/――その日も、酷く平凡な一日でありました。


 名前:梦乃桂司 夕灯村中学・高等学校2年
 部活動:剣道部(休部中)・民俗研究会所属
 進路希望……まだ決まらず。
 「……うーん」
 「先輩、紙とにらめっこしてどうかされたんですか?」
 帰り道をゆっくりと進むバスに揺られながら、隣の席に座る宮羅さんが不思議そうな声で訪ねる。俺は持っていた紙を見えるように掲げた。そこにはデカデカと進路希望調査書と書かれている。
 「ああ、もうそういうのが来るようになるんですね…勉強になります」
「実は明後日が締め切りなんだ。どうせ、今年に何回もみる書類だろうから軽く書いてる奴らが多いんだけどねえ…改めて考えてみると、俺全然未来のこと考えてなかったなって。あのれんですら大体決まってるというのに」
「わ、華角先輩はもう決まっているんですか?……あ、やっぱりお家を手伝われるんでしょうか」
 はなかどの家の方ですからね、と宮羅さんは呟く。
 華角れん、同級生にして幼なじみという奴だ。いわゆる陽のモノ、明るく物怖じせず頭も回る。なおかつ村の中でもいわゆる旧家という奴で。華角さんの家からのお願い、というと皆が皆首を縦に振るというレベルだ。そして、お金持ちという部類に入る。
「うーんどうだろうね、アイツ。家の人と最近仲悪いみたいだから……聞いても『秘密!』ってはぐらかされるし」
「そうなんですか?私なんかだとーーあんなお家でご飯に不自由なくすごせるなら、とってもいいなあって思うんですけど」
「詳しくは聞いたことはないんだけどね、あいつにはあいつの考えがあるんだろうし。……前にお父さんにあったけど、怖かったしなあ」
「先輩は、将来は家を継ぐのでしょうか」
「うーん。あんまりそういう意識はないんだ。……兄さんには、俺には俺の選択を大事にしてほしいって前々から言われててるけど――きっと村の外に出ることはないんだろうなとは思う」
 バスの外をみる、山に囲まれた村。この夕灯村は、××県の山奥にある村だ。四方を険しい自然に囲まれている。外からここに来るには電車か車しかなく、なおかつ村の外にでるには片道でも5時間以上かかるらしい。そんな村でも活気を取り戻そうと人を呼び込もうとした時期はあったが、それも失敗して――駅前以外は朽ち果てた観光地を嗤うように、森と畑や田圃が広がる。窓の上の広告にはこう書かれている――夕日が照らす、古き神の隠れ処【夕灯村】。よくも悪くも、夕日の似合う村だ。
 どん詰まりのような気持ちを振り払うかのように、宮羅さんの方へと視線を戻した。
「そういえば宮羅さんは?まだ1年だから決めるのは先だろうけど」
「え!?え、ええっと……笑いませんか?」
「いや、笑わないよ」
「その……将来はお嫁さんになって好きな人を支えたいなって思うんです」
 そういう彼女の表情は眩しかった。正しく希望を持って、未来を夢を見ている。
「なんて、こういうのは進路とは別ですよね!えへへ……」
「いいや、そういうのでも良いと思うよ。宮羅さんに彼氏が出来たらその人は果報者だねえ……」
「……あの、先輩!」
 宮羅さんの声を遮るようにバスのアナウンスが宮羅さんの降りる場所を告げた。気づけば居るのは俺と宮羅さん、そして運転手だけで。
「ああ、着くのはやっぱり早いね。……宮羅さん、どうかした?あ、もしかして一人じゃ怖い?送って行こうか?」
「いえ、あの。えっと……いえ、なんでもないです。梦乃先輩も、私を送っていったら『しきたり』に間に合わなくなってしまいますし……」
戸惑う彼女はボタンと俺を交互に見た後それを押すと、ゆっくりと立ち上がり。
「また明日。――また明日、梦乃先輩」
そう言って、停車したと同時にバスの出口まで駆けていった。
出口を見ればあの赤かった夕暮れもあともう少しで姿をすべて隠してしまいそうだった。

***

一人になれば、あとは特に何も無く目的地である終点についた。
バスを降りれば、違和感がすぐに目に入った。
「……あれ、お地蔵が倒れてる」
ここから家まで歩いていて、いつもにこにこ顔の地蔵が思いっきりその身体を横たえてしまっているのだ。毎日の通学にて見守ってもらっている手前、そのままにするわけにも行かないかと思う。時間はないが、鞄をおいて地蔵を持ち上げようとした時、……その死角から、うなり声が聞こえた。何かが居る。
不意に、部室で話した『ひだる様』が頭をよぎる。まさか、まさかな……と思いつつ俺は鞄を身体の前に掲げてそちらの方を見た。
 見れば真っ暗な陰の中に犬のようなシルエットが見える。大型犬だろうか、それが身体をすっかり丸め込ませて、震えていた。ひだる様じゃなくてよかったと息を吐いて、すぐに犬の方へ駆け寄った。なんだか、血のにおいとは違った変な匂いがしたがそれよりもまず目の前の生き物の方へ感覚が集中する。
「お前、怪我してるのか。……ちょっと待ってな」
見れば後ろ足が痛々しいほどに傷ついている。水の入った水筒と、鞄の端っこでクチャクチャになっていたハンカチを取り出して、犬の足に水をかけて汚れを取ってからハンカチを捲く。血のぬめりだろうか、なかなか上手くハンカチが捲くことが出来なかった。それでも最終的にはしっかりと固定することが出来て、額の汗を拭った。
「よし、これで一安心だ。あとは……家でちゃんとした治療を、」
改めて、犬の方を見る。そこにはなにもない、煙のように消えてしまった。
ぐるりと見回してどれだけ探しても、犬は見つからなかった。
「……む。……途中で死んでなきゃ良いけど」
しかたなく、地蔵を起こしてから鳥居を抜けて家へと向かう階段を上る。その時、人とすれ違う、見れば同じ学校の制服を着ていた。リボンからして後輩の女の子は、親御さんと思われる男の人と一緒に降りていった。怯えているようで、目も合わなかった。……当てられた自分もなんだか怖くなって駆け上がっていくと、階段の先に人影が見えた。
「兄さん!」
「――おかえり、桂司」
兄の桂一が、ゆっくりと手を振る。薄暗くなってきた中で神主の白衣と笑顔だけはハッキリ見えてそれにすこしホッとした。

***

 神社の本殿の後ろに隠れるようにある小さな家屋に明かりが灯る。そこが俺と兄さんが暮らしている場所だ。
 居間の灯りが、ちゃぶ台にのった質素なご飯を照らしている。そのおかずを咀嚼しながら、兄の方を見た。
「――という訳で、そういう話が学校で広まっているんだって」
「ふむ、人を食べてしまうなんてとっても怖いねえ……」
「……兄さん、本当に怖がってる?」
「え、本当だよ うん。……今日もご飯、おいしいねえ」
 本当、という割にはいつも通りのほんわかした表情で夕ご飯の芋の煮付けを白米と一緒に食べている。奇妙な怪異より、米への感情に溢れている……。
 ――梦乃桂一、俺の兄さんだ。事故で亡くなった父母の代わりに、俺を育て上げ現在も生活を支えてくれているスゴイ兄さんではあるが、個性的…というかマイペースな人だ。
(マイペースという言葉で片付けて良いか戸惑うところではあるが)
「実を言うとね、さっき来ていた女の子もそれ関係でここに来たんだよ」
「え、そうなの?」
「うん……、父親さんがね。娘の様子がおかしいから問いただしてみたら帰りに怖い物をみたって……それで学校に行きたくないってずっと言ってて、ここでお祓いして貰おうって話になったみたいだねえ……俺は全くそういうのわからないけど。お祓いを一通りやったらすこし落ち着いてくれたみたい。あ、俺が霊感無いのは内緒だよ内緒」
しーっと口前に指を当てる兄に、頷く。
 唯一の神社、唯一の神職である兄には霊感といったものは全くないらしい。……裏側を見ると夢もへったくれもないが、それで女の子の心とこちらの家計が僅かでも助かるなら俺には何も言う権利はないだろう。
「本人はひだる様だって信じてたけど、そんなものこの世には居ないよ。不審者かもしれないし、警察の人とか学校には連絡もしておいた。……桂司も気をつけてね。俺、桂司に何か有ったら――」
「わかっているよ。ちゃんと帰るときはまっすぐ帰るし、間に合わない時はちゃんと学校に宿泊するから……。父さんや母さんみたいには、ならないよ」
「桂司」
 兄さんと目が合う。結った黒髪が揺れて、不安げな黒目がこちらを見る。兄弟なのに、ちっとも似ていない姿だ。
「夕暮れより先、歩く事なかれ。……これは昔から村に続いているしきたりだよ。昔から言われていることには意味がある。それは怪異は本当にあるというわけではなく、災いをさける知恵として伝わっていた場合が多いんだよ。実際、夜は獣や表だって活動できない人たちが活発に動いたりすることがあったしね。だから、」
 心配をされているのだろう。それは自分にもよく分かった。本当はとても嬉しい、……しかし、なんだか息苦しく感じるときがある。それを飲み込むようにご飯をかっ込んで手を合わせる。
「――俺は、兄さんを心配させるようなことは絶対しないよ。絶対に」
 ご馳走様、と言って俺は食事の済んだ皿を持って洗い場へ向かった。
 兄は心配性だ。父母がいない分、自分が弟を育てるんだという責任もあるんだと思う。そのお陰で自分はここまで育って学校へも行けているのだから、それくらいは飲み込むべきだと頭では分かっていても、なんだかまだ自分が幼く思われているような部分はどうももやもやしてしまうのだ。濡れた指で自分の髪を触った。
 ……兄とは違う、白い髪の毛が。指の水分を吸って重く感じられた。

***

 部屋でぼんやり、進路調査票を見ていると電話が鳴った。兄より先に取ると、それは民俗研究会のもう一人の部員の声だった。
『先輩、こんばんは!安登楽です……お時間よろしかったですか?』
「ああ、丹緒ちゃん。こんばんわ、どうしたの珍しいね電話なんて」
 安登楽丹緒。宮羅さんと同じく一年下の後輩で、民俗研究会に入る前に居た剣道部からの付き合いである。凜とした声は、電話越しであってもとてもハッキリと聞こえる。
『先輩、この時勢に携帯電話も持っていませんからね……。っととそうだ、明日の部活の件です。あのクソ犬先輩と話したんですが……』
『クソ犬先輩とはにゃんだい、くそ犬先輩とは~。安登楽の家は礼儀も雑に教えてるんだなぁ~』
『ちょっと、桂司先輩と私の電話ですよ!!死角から寄ってこないでください!』
 微かにれんの声も聞こえた。という事は二人とも今日は学校に泊まっているんだろう。
『ええーケホン。不服ながら、部活が終わった後に華角先輩と遭遇しまして。色々お話ししているんですが――民俗研究会も存続の為に定期的な部活動記録を残さなくてはならないって話、聞きました?』
「えっ、何それは」
『ほらやっぱり聞いてない!!華角先輩は今日の部活何してたんですか?』
『え~桂司とイチャイチャしてた』
『はぁ!?ちょっと待ってください何をしたんですか』
『はははは!内緒だぜ!!んで、実際記録提出しないとマズいよって顧問に言われてどうしたもんかな~と思ったら丁度今日ひだる様の話をしたじゃん。宮羅ちゃん含め』
「ああ、うん。したね」
『それ以外には部活動せずトランプ遊びをしたという発言にはちょっと怒りがありますが……まあ、最近流行の怪異についてまとめて提出する分には顧問も納得するでしょうし。それに向けて――先輩のお家、伝承や神話についての文献が多いじゃないですか。それで……いくつか資料を持ってきて欲しいなって思いまして』
「なるほど。それについては分かったよ。あと丹緒ちゃん、イチャイチャはしてないからね。罰ゲームで告白もどきをさせられただけで」
『告白ッ!!わかりました。後でこの名ばかりのヘラヘラ先輩は殴っておきます』
「なんで!?」
 電話先では賑やかに話が展開していく。丹緒ちゃんは、何故かれんには当たりが強い。やや砕けたチャラい調子が苦手なんだろうか、一方れんはあんまり気にはしておらずどちらかというとかなり気に入っている方だろう。
 そうしてぼんやり二人の会話を聞いていると、一瞬言葉が止まり丹緒ちゃんから言葉が掛かる。
『あの、先輩……。そういえばなんですが足の怪我、――良くなりましたか?』
「……ああ、うん。前よりは、随分とね。急に走ったりとか、俊敏な動きはまだだけど」
『剣道部には――その』
 そして丹緒ちゃんは言いよどむ。そうして沈黙が電話越しに染み出てきそうになった時。れんがパンと手を叩いた。
『さて安登楽、そろそろ消灯だし先生見回ってくるぞ~。その話は明日しようかぬ!な、桂司』
「ああ、うん。減点貰うと部活動的に厳しいしね…?」
『あ――はい。では先輩、今日も暑いですがお布団しっかりかけておやすみなさい』
「おやすみなさい、良い夢見てね。二人とも」
電話を元の場所に戻すと、電気を消して布団に入る。
毛布を引っ張ってきて身体にかければ、重みと暖かさがゆっくりと伝わってきた。

今日も、いつもと変わらない平凡な一日だった。
ああ、でも。すれ違った子が良い夢を見れるようであったらいいなあと思い目を瞑る。
そして自分も。――今日こそは、良い夢が見れますように。