【In arium】


 とある図書館の一室から、ため息が零れて廊下に流れていく──。



「ヤツはいっつも食事は作ってばっかで食べないんだよな」
 終焉図書館内部の休憩スペースで『彼』は曲者相手にため息をついていた。
「俺は一緒に食べたいのに」
 ルイントール・ダウンゲイトは終焉図書館、通称WELの第一書庫担当司書である。同時に司書を取りまとめる立場である彼が、ここのところ職務の合間合間に行っているのは、館長こと黙頭蛇継氏への食事の誘いだ。

「僕は食べなくても平気ですし」

一度目はこのように断られた。

「今は忙しくて。あなたもそのはずですが?」

二度目はこのように。

「それよりこのスコーンどうですか。新作なんです」

三度目に至ってはこのように。

 かくしてルイントールは新作のスコーンを頬張りながら、ふくれっ面気味に弟子のディータに愚痴をこぼしていたのだった。ディータはルイントールからスコーンを分けてもらって、それを同じようなポーズで椅子に座って頬張り、思案の表情を浮かべている。
 きちんと咀嚼してから、彼女は口を開く。
「うーんと。ししょーって、スコーンを作ったことある?」
「俺? いいや……また何で?」
 スコーンを平らげて、ルイントールは隣に座るディータを見る。彼女の胸元でペンダントが揺れる。
 時雨ディータは終焉図書館のはるか外から迷い込んできた神隠しの少女である。ルイントールを師匠と仰いで学ぶ未熟な司書であるが、何だかんだでものをはっきり言うので、ルイントールも彼女のことを信頼している。
「それなら、一度作ってみましょう! そうしたら、館長のこと、ちょっと分かるかもしれませんよ!」
「えー、そうなのか? まあ、そう言うなら……?」
「しんじなさい」
 ぴょんとディータは椅子から降りて、手をぱんぱんと叩く。ルイントールは彼女の真意が分からないまま椅子から立ち上がる。
 二人は連れ立って調理室へと向かうことにした。


 それ一個が世界の集積所である終焉図書館には、そこで働く司書たちの居住空間も存在する。様々な世界から訪れた司書たちが飲食をするからには、様々な器具の揃った調理室もある。が、ルイントールはそのどれも触ったことがない。
 彼はディータに背中側にあるエプロンの紐を結んで貰いながら、落ち着かない様子であたりを見回している。
「俺、料理なんてしたことないぞ……」
「大丈夫です、師匠にでも分かる簡単なお菓子ですから。そういうわけで新米コックのししょーは材料の計測をきっちりお願いします!」
 自分のエプロンと三角巾を装備したディータが胸を張る。ルイントールはレシピ本を片手に、覚束ない手で材料を集める。小麦粉、バター、卵、砂糖に牛乳、そしてほんの少しのベーキングパウダー。それらをそれぞれのボウルに入れて、正確に分量を量る。
「こうか?」
「はい、よくできました! ではどんどん材料を混ぜていきましょー」
 楽しげなディータとは対照的に、ルイントールは本当にこれでいいのかという半信半疑かつ見様見真似で彼女の手順を追う。
 二人は手を洗い、バターと砂糖と小麦粉とベーキングパウダーを均一に混ぜ、そこに卵と牛乳を足してスコーンの生地にする。
「意外と混ぜにくいな」
「難しいなら、手でも大丈夫!」
 ゴムベラに苦戦するルイントールに、ディータが自分の手のひらを指差す。
「こ、こうか?」
 ルイントールは言われるがまま、ディータに応援されながら手でざくざくと混ぜ始める。力仕事なら得意分野だとばかりに、彼はあっという間に生地を完成させる。ふう、と唇から息が漏れる。肉体的な疲労よりも、精神的な疲労がはるかに多い。
「じゃあ、これをラップの上におきましょー」
 一方、楽しそうなディータはラップをテーブルの上に敷く。その上に生地を置いて、板状に成型し、完全にラップで包み込む。彼女はそれを冷蔵庫に入れて、小さく頷く。
「で、待つ!」
「待つのか?」
「待ちます。生地を寝かせるんです」
「何か生き物みたいだな」
 ルイントールもテーブルについて、寝かせられた生地の入った冷蔵庫を不思議な顔で眺める。ディータは隣の席に座って、彼の顔を見る。
「そう、生きているんです。ちゃんと寝かせてあげると、おいしーくなるんですよ!」
「へえ……」と軽い感嘆の声を上げながら、ルイントールはできあがるスコーンの形状について軽く思いを馳せる。
「本来あったかたちからどんどん変化していくってのは、なかなか面白いな」
「でしょー、料理は食材と私たちのコミュニケーション! なんです!」
 ディータはルイントールの目を覗き込んで、再び冷蔵庫の方へと視線をやる。
「多分、館長のスコーンも同じなんじゃないかなって私は思うんです」
「と、いうと?」
 その真意を訊ねようとルイントールは彼女の目を見返し、軽く首を捻る。
「料理って、食べるじゃないですか。そして、私たちの一部になりますよね」
「急に難しい話だな」
 眉を寄せて、ルイントールはできたてのクロテッドクリームに視線を移す。黄色味掛かったクリームは、甘くてとてもおいしそうだ。それを見ていると、自然と表情が和らいでいく。
「だけどそうだな、飯抜きってわけにはいかないし」
「ですよね。館長はとってもおいしいスコーンを作ります。そして、私たちに食べさせます。それって、意地悪な館長が意地悪してないってことじゃないですか!」
「そう、だな」
 実際、館長がスコーンになにか混ぜ込んだといった悪戯をしたことはない。いつもおいしい、いろんな味のスコーンを作ってくれる。それも、温かい紅茶と一緒に。
 ディータは力強く頷いて、どう説明していいか迷いながら、口をゆっくり開く。
「あれって、館長なりのコミュニケーションなんじゃないかなって思うんですよね。一方的で、とっても不器用だけど」
「館長なりのコミュニケーション、か……」
感謝。労い。慈しみ。そうした、優しいものの詰まったスコーンを食べる。そうして、自分たちはまた仕事に向かうことができる。それは、何とも温かな話だ。
 館長がもしも、そうしてくれているのなら。
 館長のことを怖がっている節があるディータからそんなことを聞くのは意外だったが、ルイントールは腑にすとんと落ちたような感じがした。
「じゃあ、その一方的なやつを、双方間にしないとな」
「その調子です! そろそろかな、生地をいよいよスコーンの形にしましょー!」
「ああ、俺が取りに行く。そのまま開けばいいんだよな?」
「落としちゃダメですよ、新米ししょー」
「分かってる」
 苦笑いしながら、ルイントールは冷蔵庫の中から、ラップに包まれ、すっかり冷えたスコーン生地を取り出した。
 それを持って戻る最中、ディータが引き出しから何かを取り出して洗い、小麦粉をつけているのを、ルイントールは見た。一見して、金属の板を縦にして、まるく丸めてくっつけただけの道具だ。
「それは何だ?」
「ふふふ、これはですね。スコーン生地を丸く抜くための型です!」
 ラップを外し、木の板の上に広げられた生地の隅に、スタンプを押すようにディータはぽんと型を差し込む。
「そうだった。ししょー! そこのオーブンから黒い鉄の板を出してください」
「これか?」
 言われるがまま、ルイントールはオーブンに近づいて開き、中の黒い鉄板を取り出す。
「そうそう、それです。それをこっちに持ってきてください、オーライオーライ」
 クッキングペーパーの筒を構えながら、ディータは天板が来るのを待っている。ルイントールが置いた天板に、ディータはクッキングペーパーを敷いて、今しがたくりぬいた生地を置く。
「じゃあ、師匠。後はよろしく」
「えっ」
 ディータは型をルイントールに渡し、オーブンの方へ向かって余熱を入れ始めた。
「えっ、あー、こうすれば、いいのか?」
 覚束ない手つきで、ルイントールはひとつ、またひとつとスコーンを型抜きし、天板に並べていく。ひとつ、ふたつ、みっつ。徐々に並んで行くにつれて、生地は穴だらけになっていく。
 ルイントールは何となく、世界を食む『ヤギ』の話を思い出した。このヤギというのは物語、すなわちこの図書館に蔵書された世界そのものを改竄する、いわば司書たちの仇敵である。
 こうやって少しずつ、くりぬかれたスコーンの生地のように、世界はからっぽになっていく。そのヤギたちの先頭にして頂上にいるものこそが、かの黙頭蛇継氏だということを彼は知っている。
「……」
 自分は彼らをこロすことしかできない。そして、ヤギの長をどうするかも決めている。それは他の誰にも侵すことのできない、大事な約束である。
 その結末までの間のささやかな語らい。これも、その一つになるならば……。
 ――という、真面目な思考が突如として打ち消されたのは、ディータの卵黄をかき混ぜる音のせいだった。
「手が止まっているぞー、新米コックー! きりきり型を抜けー!」
 ディータの妨害もとい激励もあって、ルイントールは型抜き作業を再開した。よっつ、いつつ、むっつ。まとめてのばして、ななつ、やっつ。天板に置かれたそのスコーンに、ディータがハケで卵黄を塗っていく。
「こうすると焼いた時、つやっつやになるんですよ!」
「へえ……ああ、そういや館長のスコーンもそうだったな」
「楽しみですね! よーし、焼きますよ! あちち……」
 ミトンをはめて、ディータが余熱の入ったオーブンに天板を入れて閉める。
 しばらくすれば、バターと小麦粉の良い香りが漂ってくる。
「焼けたら、あとは粗熱を取るだけです! お疲れさまでした!」
「意外とどうにかなったな……」
「他にもいろいろありますから、師匠もれっつチャレンジ!」
「その時は頼むぞ、熟練コック」
「まかせなさい」
 あとは二人で笑いながら、スコーンが焼けるのを待っていた。
良い香りが調理室の外へと、ゆっくり、のんびりと漂っていく――。






「蛇継」
「おや、ルイン。どうかしましたか?」
 後日、蛇継のところへ訪れたルイントールの手には小さな包みがあった。ディータの選んだ可愛い青いリボンがつけられた透明な袋の中には、あのスコーンが入っている。
「今度は逃がさないからな」
「退路を塞がれてしまいましたか。しかし、どうしてそこまで僕に料理を?」
 不思議そうにスコーンの袋を見る彼に、ルイントールは頬を軽く掻く。
「ディータと話したんだ。どうして蛇継が俺たちにスコーンと紅茶を振る舞ってくれるのかって」
「……答えは出ましたか?」
 ルイントールは頷いて、笑ってスコーンの袋を差し出す。
「我らの館長殿はとびきり不器用だってな」
「おやおや、言いますね」
 蛇継は袋を受け取り、リボンをほどく。そして中にあるスコーンのかたちをしばらく眺めた後、リンゴを齧るように口にする。咀嚼、そして嚥下。
 緊張した面持ちのルイントールを見て、彼は口を開く。
「まあ……及第点ですね。でも、僕は好きですよ、これ」
「はー、これで突き返されたらどうしようかと思った」
 蛇継の食えない笑顔が深まるのを見て、ルイントールはやっと詰めていた息を吐いた。蛇継はやっぱり、笑っている。
「そうだ。今度はできたてが食べてみたいです。ディータの力を借りずに、やってみてください」
次なる試練を課せられてがっくりとするものの、ルイントールはそれでいいと思った。蛇継にやっと、ひとかけらのコミュニケーションが届いたのだから。
「やってやるさ」
「やってみせてください」
 その日から、蛇継はスコーンを好んで食べるようになった。ルイントールとディータはこれに伴って様々な作戦会議を開くことになるのだが、それは後日談の話である。
 WELに穏やかな時間が流れていく。司書たちと館長の長い長いコミュニケーションはまだ始まったばかりで、きっとこれからいろんな味になって、記録されていくのだろう。

 そう、きっと山羊が滅びの手紙を運んでくる、その日までは。


(2018/05/26)


この作品は「mahipipa」様に依頼を行い執筆して頂きました作品になります。
提示した設定等を忠実に再現して頂き、また新たな切り口を見せていただいたように思えます。
この場を借りて感謝を。
【SKIMA:mahipipa様の頁】 【mahipipa様サイト(monogatary)】